浦和地方裁判所 平成2年(ワ)56号 判決 1992年9月29日
原告
近藤豊
ほか一名
被告
ヤマト運輸株式会社
ほか一名
主文
一 被告らは各自原告らに対しそれぞれ七八六万四九九四円及び右各金員に対する昭和六二年八月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを四分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。
四 この判決第一項は仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは原告らに対し連帯してそれぞれ三一五四万七六九一円及び右各金員に対する昭和六二年八月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行の宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生
次のような交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。
一 日時 昭和六二年八月三一日午前一〇時五〇分頃
二 場所 埼玉県上尾市大字久保九八番地の一一(原告宅先路上)
三 態様 被告松井田正(以下「被告松井田」という。)が運転する普通貨物自動車(大宮一一う一八三七、以下「加害車」という。)が、亡近藤稔(昭和六一年一月二九日生まれ。以下「稔」という。)と衝突し轢過した。
四 結果 このため、稔は脳挫傷、頭蓋骨粉砕骨折等の傷害を負い一同日午後〇時一二分頃、同市柏座一丁目一〇番一〇号所在の上尾中央総合病院において、右傷害により死亡した。
2 責任原因
一 被告松井田は、運送事業を営む被告ヤマト運輸株式会社(以下「被告会社」という。)の従業員として、普通貨物自動車を運転してし荷物の運搬等の業務に従事していた者であるところ、本件事故当時、停車中の加害車の近くで稔を含む何人かの幼児が遊んでいることを事前に現認していたにもかかわらず、加害車を発進させるに際して、車両の前後左右の安全確認を怠り、漫然とこれを発進させた過失により本件事故を惹起したのであるから、民法七〇九条に基づき、本件事故のために稔及びその両親である原告らが受けた損害を賠償する義務がある。
二 被告会社は自動車運送事業を営む会社であり、被告松井田は被告会社の従業員であつて、本件事故は被告松井田が会社の業務上で加害車を運転中前記の過失行為によつて惹起したものである。また、被告会社は加害車の所有者であり、自らの自動車運送事業の遂行のためにこれを運行の用に供していたのであるから、民法七一五条及び自動車損害賠償保障法三条に基づき本件事故のために稔及びその両親である原告らが被つた損害を賠償する義務がある。
3 損害
(一) 稔の逸失利益
稔は、本件事故当時心身ともに健康な一歳七か月の男児であつた。当時の稔の生活環境からすると、稔が大学に進学することは確実であつたから、本件事故に遭遇しなければ、稔は大学を卒業する時点の年齢二二歳から六七歳までの四五年間就労可能であり、その間毎年少なくとも賃金センサス昭和六二年第一巻第一表・大卒男子労働者の全年齢平均賃金五三六万四二〇〇円の収入を得ることができたはずである。また、稔は二八歳で婚姻し、三〇歳で子供を一人もうける蓋然性が高い。
そこで、右の収入金額から、満二二歳から二八歳までは五〇パーセント、三〇歳から六七歳までは三〇パーセントの生活費を控除し、新ホフマン式により年五パーセントの中間利息を控除して、稔の死亡時点での逸失利益の現価を算定すると五一八一万五三八二円である。
(二) 稔の慰謝料
稔は生後僅か一年余りで、前記のような凄惨な傷害を負い、他界したのであつて、稔が被つた精神的苦痛は計り知れず、これに対する慰謝料の額は一五〇〇万円とするのが相当である。
(相続による権利の承継)
原告らは稔の両親であり、ほかに稔の相続人はいないので、原告らは、相続により、稔の右(一)(二)の損害賠償請求権をその法定相続分に従い、各二分の一ずつ(三三四〇万七六九一円)承継した。
(三) 原告らの慰謝料
本件事故のために稔を失つた原告らの精神的苦痛に対する慰謝料はそれぞれ七五〇万円とするのが相当である。
(損害の填補)
原告らは自動車損害賠償保障法に基づく保険金とし二一七二万円(それぞれの原告につき一〇八六万円)の給付を受けた。
(四) 弁護士費用
以上の原告らが被つた損害の金額からすると、本件事故と相当因果関係のある損害としての弁護士費用は原告らそれぞれにつき一五〇万円とするのが相当である。よつて、原告らは被告らに対し、連帯して、それぞれ右(一)ないし(四)の損害合計三一五四万七六九一円及びこれに対する本件事故の日である昭和六二年八月三一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うよう求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実のうち加害車が稔に衝突したことは否認、その余は認める。
2 同2の事実のうち、被告松井田が被告会社の従業員として加害車を運転して荷物の運搬等の業務に従事していたこと、被告会社が自動車運送事業を営む会社であり、本件事故は被告松井田が業務上加害車を運転中発生したものであること、被告会社は加害車を所有し、自己のためにこれを運行の用に供していることは認めるが、被告らが本件事故によつて稔及びその両親である原告らが被つた損害につき賠償責任を負うことは争う。
本件事故当時、被告松井田は加害車を運転して宅急便貨物の配達に従事していた。事故の日、被告松井田は、原告方に貨物を配達するため原告宅前に加害車を止め、配達を済ませて発進する際、前後左右の安全を十分に確認したのであるが、このとき稔が加害車の車底に潜つていたためこれを発見することができなかつた。このように、本件事故は、被告松井田にとつては不可抗力によるものであり、したがつて、被告らは本件事故により稔及び原告らに生じた損害につき賠償責任を負ういわれはない。
3 同3の主張は争う。
三 抗弁
1 一部弁済
被告松井田は原告らに対し、本件事故による損害賠償として一〇〇万円を支払つた。
2 被害者側の過失
稔は、本件事故当時一歳七か月の幼児であり、その行動については保護者の監視を必要としていた。事故当日、稔は近所の子供たちと自宅敷地内の道路際にゴザを敷いて遊んでいた。傍らには母親である原告近藤久美子がいたが、配達された荷物を受け取るため、久美子は稔をその場に残したまま家の中に入つていつた。稔はその間に加害車に近づき本件事故に遭遇したのである。したがつて、本件事故については久美子にも稔の保護者として監視を怠つた過失があるので、これを被害者側の過失として損害額を算定するうえで斟酌すべきである。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1の事実のうち、原告らが被告松井田から一〇〇万円の支払を受けたことは認める。しかし、右一〇〇万円は損害賠償とは別個のものとして支払われたものであり、原告らは、これを墓石の購入代金等に当てた。
2 同2主張は争う。
本件事故現場は、行き止まりの、交通量の少ない道路上であり、付近の住宅の子供たちが遊び場としている場所であつて、原告宅の目の前である。事故当日も、道路に接する原告方の駐車場(車庫)には、稔のほか小さな女の子が二人おり、被告松井田はこれを認識していた。そればかりか、被告松井田は日頃から配達のためこの付近をしばしば訪れており、子供たちがやつて来た自動車に注意を引かれ近寄つてくることを十分に知つていた。事故の際、被告松井田は、稔の母親久美子に荷物を渡し、受領印をもらつて加害車のところに戻つたとき、その付近にいるはずの稔の姿が見えないことに気づいていた。それにもかかわらず、被告松井田は加害車の前後左右の安全を十分に確認しないで発進したのであり、その過失は重大である。
また、被告松井田が原告宅前に到着した際、久美子は稔の傍らにあつて、これを監視しており、被告松井田はこれを現認している。そして、被告松井田が原告宅玄関のチヤイムを鳴らし待つているので、その応対のため、久美子は稔の側を離れたのである。このように、本件事故は通常の幼児飛び出しによるものとは全く異なり、久美子の稔に対する監視不行届は被告松井田によつて誘発されたのであるしてみると、久美子による一時の監督不行届を被害者側の過失と評価するのは不当である。
第三証拠
本件訴訟記録中の「書証目録」及び「証人等目録」に記載のとおりである。
理由
一 昭和六二年八月三一日午前一〇時五〇分頃、埼玉県上尾市大字久保九八番地の一一(原告宅)先路上において、被告松井田運転の加害車が稔を轢過し、その結果、稔は脳挫傷、頭蓋骨粉砕骨折等の傷害を負い、同日午後〇時一二分頃、同市内に所在する上尾中央総合病院において、死亡したことは当事者間に争いがない。
二 いずれも成立に争いのない甲第五号証、乙第一ないし第三五号証、第三八ないし第四一号証、原告近藤久美子、被告松井田正の各本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。
1 被告松井田は、被告会社において宅急便貨物の配達の業務に従事していた者であるが、本件事故の日、原告方に荷物を配達するため加害車を運転して、行き止まりの私道を進行し、行き止まりになる少し手前でUターンし、原告宅玄関前で加害車を停車させた。
2 そのとき、原告宅敷地の私道寄りの駐車場(車庫)では、稔と近所の小さな女の子二人がゴザを敷いて遊んでおり、稔の母親である原告近藤久美子がこれを見守つていた。
3 被告松井田は、加害車の助手席から降りて、原告方玄関のチヤイムを鳴らし、玄関のドアを開けて中に入つた。久美子は、被告松井田の来訪を知つて、稔をその場に残したまま、勝手口から家の中に入り、玄関で被告松井田から荷物を受け取つた。被告松井田は、受領書に押印をしてもらつたあと、玄関を出て加害車の方へ向かつた。このとき、被告松井田は、駐車場に、来訪の際現認した稔と二人の女の子のうち、二人の女の子がいるのを確認したが、稔の姿は見当たらなかつた。
4 被告松井田は、加害車の左側のドアから運転席に乗り込みサイドミラー等によつて前方左右の安全を確認はしたが、自動車の周囲を巡つて安全の確認をすることまではせず、稔の所在にも特別の関心を払うことはなかつた。こうして、被告松井田は加害車を発進させ、その直後、加害車は稔を轢過した。
以上の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
本件事故の際、稔が加害車との関係でどの位置にいたかは証拠上断定できないが、右事実によれば、被告松井田は、加害車を原告宅玄関前に駐車させた時点で既に近くの駐車場(車庫)には稔を含めて三人の幼児がいることを現認しているのであり、配達を終えて、再び加害車に乗り込む際には、そのうち稔の姿が見当たらなかつたのであるから、このような場合、被告松井田としては、加害車に乗り込むに先立ち、その周囲を巡り、付近に目配りするなどして、稔の所在を確認すべきであり、被告松井田がこれを怠り、運転席から前方左右の安全を確認しただけで加害車を発進させたのは被告松井田の過失ということができるから、被告松井田は稔及びその両親であることが弁論の全趣旨により明らかな原告らが本件事故によつて被つた損害を賠償すべきである。
被告会社は本件自動車の所有者であつて、自己のためにこれを運行の用に供していることは当事者間に争いがない。これによれば、被告会社は、その運行供用者として、稔及び原告らが本件事故のために被つた損害を賠償すべきである。
三 損害
1 稔の逸失利益
稔が本件事故当時一歳七か月の心身とも健康な男児であつたことは弁論の全趣旨により明らかである。
そこで、年間収入を賃金センサス昭和六二年第一巻第一表・男子労働者の全年齢平均賃金四四二万五八〇〇円、就労可能年数を一八歳から六七歳までの四九年間、収入中に占める稔の生活費の割合を全期間を通じて平均四〇パーセントとして、ライプニツツ方式により年五分の割合による中間利息(係数七・九二七)を控除して、右就労可能期間中における稔のうべかりし利益の本件事故当時における現在価額を算出すると、次のとおり二一〇四万九九八九円である。
4,425,800円×(1-0.4)×7.927=21,049,989円
原告は、稔のうべかりし利益を算定するについては、年間収入は大学卒男子労働者の平均賃金を採用すべきである(そうすると、就労可能期間は大学在学中の分だけ短くなる。)と主張するが、本件事故の当時の稔が一歳七か月であつたことを考えると、その将来を予測することは極あて困難であり、右主張を採用することは相当でない。
(過失相殺)
前認定の事故当時の状況からすると、原告近藤久美子が、被告松井田から配達された荷物を受け取るため、稔を駐車場(車庫)に残したまま一人家の中に入り、一時的でも稔を自らの目の届かないところにおいたことは、稔の保護者としての監護義務を怠つたものといえないことはなく、これが本件事故の一因となつたことは否定できないところである。しかしながら、久美子がこのような行動に出たのは、予期しない時に宅急便貨物が配達されたことによるものであり、一般に、人はこのような状況下においては、久美子と同様の行動に出ることは十分にありうることであつて、非難に値するほどのことには当たらない。また、原告方は宅急便貨物の配達先であり、原告らは被告会社にとつては顧客といえなくはないこと、そのほか前認定の事故当時の状況を併せ考えると、本件事故によつて生じた損害の金額を算定するうえで、久美子の右監護義務違反の事実を斟酌するのは相当ではない。
2 慰謝料
本件事故の態様、稔が生後僅か一年七か月にして頭蓋骨粉砕骨折、脳挫傷という重大な傷害を受けて死亡したこと、そのほか、本件審理に顕れた諸般の事情にてらすと、稔及び原告らが被つた肉体的、精神的苦痛に対する慰謝料は、それぞれに固有の分を合わせて一六〇〇万円とするのが相当である。
(損害の填補等)
右1、2の損害は合計三七〇四万九九八九円であるが、原告らが自動車損害賠償保障法に基づく保険金として二一七二万円の給付を受けていることは原告らの自認するところである。また、被告松井田が原告らに対し一〇〇万円を支払つたことは当事者間に争いがない。この金額は香典ないしは見舞金とするには余りにも多額であり、損害金の一部として支払われたと見るのが相当である。そこで、右合計額からこれら金員を控除すると、その残額は一四三二万九九八九円である。
(相続による権利の承継)
原告らは稔の両親であり、その唯一の法定相続人であることは弁論の全趣旨に照らして明らかである。したがつて、原告らは右損害残額に係る請求権のうち稔に固有の分をその法定相続分に従い各二分の一ずつ相続により承継したというべきであり、これに自己に固有の分(それぞれの原告につき同額)を合わせると、原告らの請求権はそれぞれ原告につき右損害残額の二分の一に当たる七一六万四九九四円である。
3 弁護士費用
原告らの右各請求権の金額、本件審理の経過その他審理に顕れた諸般の事情に照らすと、本件事故と相当因果関係のある損害としての弁護士費用は本件事故当時の現在価額でそれぞれの原告につき七〇万円とするのが相当である。
そこで、右各請求権の金額にこれを加えると七八六万四九九四円であり、したがつて、被告らは各自原告らに対し、それぞれ右七八六万四九九四円及び右金員に対する本件事故の日である昭和六二年八月三一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべきである。
四 よつて、原告らの請求は右説示の限度でこれを認容し、その余を失当として棄却することとし、訴訟費用に負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 大塚一郎)